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(黄公望《富春山居図》无用師巻 台北故宮博物院)
明代の歴史を彩る「いい人」を4人選ぶとしたら、そこには必ず沈周(しんしゅう)の名が入るでしょう。
忍耐と大義の李東陽、バランスの達人・申時行、道徳の狂人・海剛峰と並び称されるのが、今日ご紹介する「大明の活菩薩」こと沈周です。
沈周は隠遁者のような気質を持っていたため、朝廷の争いから身を引き、天真爛漫な生涯を全うしました。彼は山水に情熱を注ぎましたが、決して気難しい孤高の芸術家ではありませんでした。むしろ、非常に親しみやすい人物だったのです。
彼の家にファンが殺到しても怒らない理由
中年以降、沈周は家業を長男の雲鴻に任せ、芸術創作に専念する時間が増えました。その結果、彼に書画を求める人々が後を絶たなくなります。京師(都)から遠く離れた閩、浙、川、広に至るまで、皆が彼の作品を珍しい宝物として買い求めたのです。
※(王鏊《沈隠士石田先生墓誌銘》:数年来,近自京師,遠至閩、浙、川、広,无不購求其迹,以為珍玩。風流文翰,照映一時,其亦盛矣。)
長洲の東側にある彼の別邸「有竹居」には、彼のファンが常時押し寄せていました。夜明け前、門が開く前から港には舟がぎっしり詰まっていたといいます。
(王鏊《沈隠士石田先生墓誌銘》:相城居長洲之東偏,其別業名有竹居,毎黎明,門未辟,舟已塞乎其港矣。先生固喜客至,則相與燕笑咏歌,出古図書器物,摸撫、品題、酬対,終日不厭。間以事入城,必択地之僻隩者潜焉,好事者已物色之,比至,則屦満乎其戸外矣。)
沈周は、この騒がしさにも決して腹を立てたり、偉ぶったりしませんでした。
彼は客を喜んで迎え、終日、笑い、歌い、古い書物や器物を出して鑑賞したり、評価したり、応酬したりすることを楽しんでいました。時々、街中へ入る際も、人目を避けてひっそりとした場所を選んだのですが、好事家たちに見つけられ、その家の外まで靴があふれるほどでした。
贋作にサインを求められても、笑顔で応じる寛容さ
沈周の和やかさを示す驚くべきエピソードがあります。
商人や農夫といった市井の人々が紙を持って書画を求めてきても、彼は難色を示すことはありませんでした。さらに信じられないことに、ファンの中には、沈周の贋作を持ってきて、それを売るために沈周本人に題款(サインや識語)を求めてくる者もいました。
(王鏊《沈隠士石田先生墓誌銘》:先生高致絶人,而和易近物,販夫牧竪,持紙来索,不見難色。或為贋作,求題以售,亦楽然応之。)
普通なら、贋作づくりを助けるなど言語道断であり、激怒するところでしょう。しかし、沈周はまったく怒りませんでした。彼はいつも欣然とそれに応じたのです。
沈周は、贋作を作る者も生活のためにやっていると考え、自身が題款をすることで、彼らを助けることになると感じていたようです。これだけでも彼は「心の優しい大善人」ですが、次のエピソードこそが、彼を「大明の活菩薩」の座に押し上げることになりました。

(黄公望《富春山居図》无用師巻 台北故宮博物院)
宝物の盗難と、名前を守るための沈黙
沈周は、現在台北故宮博物院に所蔵されている黄公望(こうこうぼう)の『富春山居図』無用師巻を、かつて所有していました。
ある年、沈周はこの傑作に題跋(作品への書き込み)を依頼するため、尊敬する先輩名流の家に作品を送りました。ところが、信じられないことに、この先輩の息子が邪な心を起こし、作品を横領してしまったのです。さらに嘆かわしいのは、先輩自身も制止しなかったことでした。
(即其思之不忘,乃以意貌之,物遠失真,臨紙惘然。)

(沈周題《倣黄公望富春山居図》北京故宮博物院)
沈周の先輩への敬愛と信頼は裏切られました。
盗難が判明した後、沈周は警察に通報して作品を取り戻そうとしたのでしょうか?
いいえ、そうはしませんでした。
沈周は心の中で深く悲しんでいましたが、この先輩の名声を保つため、彼は歯を食いしばってすべてを水に流すことを選んだのです。当時の文人コミュニティは狭く、特に彼らは同じ地域の人々でした。沈周は、彼らの面目を完全に失わせることを望みませんでした。
記憶が傑作を凌駕する:背臨という奇跡
しかし、天道は巡るものです。
作品を盗んだ先輩の息子は案の定、放蕩者でした。家業をすぐに揮霍し尽くし、成化23年(1487年)には、ついに生活のために『富春山居図』を売りに出さざるを得なくなります。
この知らせを聞いた沈周はすぐに駆けつけました。しかし、その息子は相変わらず貪欲で、信じられないほど高額な値段を吹っ掛けました。沈周は貧しかったため、その価格では買い戻すことができず、意気消沈して帰宅しました。

(沈周題《倣黄公望富春山居図》北京故宮博物院)
「氷は水よりも冷たい」と言わしめた偉業
帰宅後、沈周は数日間寝返りを打ち続けます。
そして彼は、ある大胆な行動に出ます。
彼はついに、記憶だけを頼りにこの『富春山居図』を背臨(記憶による再現模写)したのです!
沈周自身は非常に謙虚で、記憶が曖昧で、画面の細部は大体しか再現できなかったと記しています(「即其思之不忘,乃以意貌之,物遠失真,臨紙惘然。」)。
しかし、黄公望のオリジナルと沈周の背臨作品を詳細に比較すると、沈周の描いた山や石の一つ一つが、黄公望の趣を完全に捉えていることが分かります。

(黄公望《富春山居図》无用師巻 台北故宮博物院)

(沈周題《倣黄公望富春山居図》北京故宮博物院)
後の書画の大家、董其昌(とうきしょう)は、沈周の背臨長巻を見て、「氷は水よりも冷たい(青は藍より出でて藍より青し)」と評し、沈周は古代の巨匠に並び立ち、さらにそれを超えていると絶賛しました(「冰寒于水,信可方駕古人而又過之。」)。
(今復見白石翁背臨長巻,冰寒于水,信可方駕古人而又過之。)

(董其昌題沈周《倣黄公望富春山居図》北京故宮博物院)
友の愛がもたらした終結
その後、黄公望のオリジナル『富春山居図』は転々としましたが、翌年の夏に新しい所有者を迎えます。その人物とは、沈周の親しい友人である樊舜挙(はんしゅんきょ)でした。
樊舜挙はおそらく、この作品を巡る沈周の悲しい物語を知っていたのでしょう。彼は作品を手に入れるとすぐに沈周の家へ運び、友人の長年の想いを慰めました。
そして、樊舜挙に依頼されて題跋を書いた際にも、沈周の高潔な人柄が光ります。
(旧在余所,既失之,今節推樊公重購而得,又豈翁択人而陰授之耶?)

(沈周題黄公望《富春山居図》无用師巻 台北故宮博物院)
彼は過去の辛い経緯や、先輩とその息子の悪行には一切触れませんでした。ただ、「かつて私はこれを所有していたが、失った。今、友人の舜挙が買い戻して手に入れた。これは黄公望が密かに人を選んで授けたのだろう」と、淡々と書き残すにとどめたのです。
沈周は、己の悲しみよりも、人間関係における調和と、亡き大家への敬意を優先しました。この貴い人品と、その高潔さゆえに、彼は後世まで「大明の活菩薩」として語り継がれているのです。
「沈周の人格についてさらに知りたいですか?彼の意外な一面、【沈周シリーズ第一弾:大明の『猫奴』沈周】へ進む」
(不同艺)
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