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皆さんは、かつて中国で視聴率40%という驚異的な記録を打ち立てたドキュメンタリー番組『長江(話説長江)』をご存知でしょうか。実は、その映像のほとんどを撮影したのは、一人の日本人アーティストでした。
その名は、さだまさし(さださん)。
当時、28歳の若さで絶大な人気を誇っていた彼が、なぜ全財産を失い、30年という歳月をかけてまで中国の母なる川を撮り続けたのか。そこには、教科書には載っていない「美しき執念」の物語がありました。

1. 20年越しの夢と、魂を吹き込んだ二文字
さださんにとって、長江は単なる撮影対象ではありませんでした。中国で暮らした経験を持つ祖父や父から、幼少期より「長江は1000万年も流れている」と聞かされて育った彼にとって、長江は20年来の夢であり、遠い呼び声だったのです。
1980年、撮影の許可を得るためにさださんが訪ねたのは、当時98歳だった蘇菊仙(そ・きくせん)先生でした。先生は清朝最後の「秀才」と呼ばれた伝説的な知識人です。震える手で宣紙に力強く書かれた「長江」の二文字。そこには中国の文脈と、さださんの「この川をありのままに残したい」という純粋な初心が刻まれ、番組のタイトルとなりました。


2. 「没関係(メイ・グァン・シ)」という名の相棒
1980年9月、上海から出発した撮影クルー。さださんの決断は、当時の常識からすれば狂気ともいえるものでした。テレビ用の安いフィルムではなく、最高級の35mm映画用フィルムを選択したのです。1秒1秒が「純金」を消費するような莫大なコストがかかる決断でした。
この過酷な3,200キロの道中、さださんは一匹の流浪の犬を拾い、覚えたての中国語で「没関係(メイ・グァン・シ/大丈夫、問題ない)」と名付けました。この小さな相棒は撮影隊の心を癒やすマスコットとなり、道なき道を進む一行を励まし続けました。

さださんは現地の茶館で人々と笑い、漁船で網の投げ方を教わり、時には泥だらけになって江に飛び込みました。彼は「客人」ではなく、一人の「友人」として長江の人々に受け入れられていったのです。
しかし、夢の代償は残酷でした。最終的な撮影コストは当時のレートで約35億日元(約1億元相当)という天文学的数字に膨らみ、映画の興行収入だけでは到底返せない巨額の負債が残りました。会社は倒産、父親も破産。28歳の青年は一夜にして、一生かかっても返せないほどの借金を背負うことになったのです。
周囲が絶望する中、さださんは愛犬に付けたあの言葉を口にします。「没関係(メイ・グァン・シ/大丈夫)」。
そこから、彼にとっての「もう一つのマラソン」が始まりました。
観客が数人の夜も、幕の裏で涙を流す夜もありましたが、彼は一度も穴を空けることなく歌い続けました。すべては「長江」という夢に支払うべき代償として受け入れたのです。
そして30年後の2010年。還暦を前にしたさださんは、ステージで深くお辞儀をし、静かに告げました。 「皆さん、30年かかりましたが、ようやく借金を完済しました」。
会場を包んだ一秒の静寂と、それに続く割れんばかりの拍手。彼は28歳から60歳まで、長江のために歌い、長江のために生きました。
現在、彼が撮影した風景の多くはダムの底に沈み、永遠に失われてしまいました。しかし、彼が私財を投じ、一生を捧げてフィルムに刻んだ「最も美しい長江」は、今も色あせることなく残っています。中国のSNS「豆瓣」では9.6点という驚異的な高評価がつき、若者たちは「一生をかけて貴重な映像を残してくれたさだ先生に感謝する」とメッセージを寄せています。

結び:人生の価値とは何か
「なぜそこまでしたのか」と問う人々に対し、さださんは「夢を実現するために困難と戦うこと、それこそが人生の価値だ」と語っています。
効率や損得が優先される現代。一人の男が「一本の川」に恋をし、一生をかけてその想いを貫き通したこの物語は、私たちに「本当に守るべき価値とは何か」を静かに問いかけています。
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