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西冷印社『漢三老諱字忌日碑』拓本
杭州の西湖に浮かぶ孤山、その頂に位置する「西泠印社」には、社の至宝(鎮社之宝)として崇められる石碑があります。その名は『漢三老石碑』(正式には『漢三老諱字忌日碑』)。東漢時代(西暦52年)という気の遠くなるような昔に刻まれたこの石碑には、ある数奇な運命と、今も語り継がれる歴史ミステリーが秘められています。
1. 公認の歴史と「1000年の謎」:本当の発見者は誰か?

一般的に流布している公式記録では、この碑は1852年に周師雄(しゅう・しゆう)という人物によって、余姚(よよう)の客星山から発掘されたとされています。しかし、これには「3年間の空白」という大きな謎が存在します。
• 謎の拓本: 浙江省博物館には、この碑の貴重な拓本が保管されていますが、そこには「道光29年(1849年)」という日付と、名工・六舟(りくしゅう)の手によるものであることが記されています。
• 新説の浮上: 周師雄が発見したとされる3年も前に、なぜ拓本が存在したのか? 最新の調査では、実は宋人山(そう・じんざん)という人物が先に発見していた可能性が指摘されています。1849年、水害の救済活動で現地を訪れた六舟がこの碑を目にし、拓本を録ったというのが真相のようです。後に何らかの理由で碑は周師雄の手に渡り、初期の発見の経緯が書き換えられた、あるいは忘れ去られたのではないかと考えられています。
2. 国家の危機:日本への流出を阻止せよ
1919年、周氏の後継者がこの碑を3,000大洋(当時の銀貨)で上海の古物商・陳衛権に売却しました。そして1921年、この至宝が日本へ渡ろうとしている(東渡日本)という衝撃的なニュースが駆け巡ります。
この危機に立ち上がったのが、西泠印社の初代社長・呉昌碩(ごしょうせき)や創設者の一人丁輔之(ていふし)ら、当時の知識人たちでした。彼らは「国の至宝を海外へ出してはならない」と、私財を投じた大規模な募金活動を開始したのです。
3. 「推し活」の先駆者:救出を支えた「投げ銭(寄付)」の主役たち
石碑を買い戻し、保存するための東屋の建設や輸送費を含めた予算は1万大洋を超えました。最終的に65名の有志によって11,270大洋が集められ、見事に日本への流出は阻止されました。

寄付者名簿(石碑の横に刻まれた小碑に記録されています)を見ると、当時の中国を代表するビッグネームが並んでいます。
• 「課金勢」のトップ(各2,000大洋):
◦ 張鈞衡(ちょう・くんこう): 巨万の富を築いた実業家であり、民国の重要人物・張静江の親族。
◦ 盧永祥(ろ・えいしょう): 浙江省の軍閥トップ(都軍)。映画のような権力闘争の渦中にいた人物です。
• その他の主要な寄付者: 南潯の富豪・劉成幹(500大洋)や、西泠印社の丁輔之(200大洋)など、政治家から実業家、芸術家までが立場を超えて団結しました。呉昌碩や王一亭ら芸術家たちも、100大洋ずつという誠意ある寄付を行っています。
4. なぜ、この石碑はそれほどまでに重要なのか?
『漢三老石碑』がこれほどまでに重視されるのには、3つの明確な理由があります。
1. 圧倒的な歴史の古さ: 東漢時代という、現存する石碑が極めて少ない時代のものです。
2. 浙江省の希少性: 漢代の石碑は北方に多く、南方の浙江省で出土したことは奇跡的な出来事でした。
3. 文字数の多さ: 一般的な漢碑に比べ、刻まれている文字数が非常に多く、当時の歴史や文化を知る第一級の資料となっています。
結び:石碑に刻まれた「民族の魂」

現代の中国人観光客の中には、碑文を読み間違えて「石老三漢」などと呼ぶ人もいるようですが、この碑の本質は、刻まれた文字以上のところにあります。
それは、1921年の危機において、軍人、実業家、芸術家たちが「文化を守る」という一点で結集した民族の自尊心と情熱の象徴であるということです。現在、私たちが西泠印社の「漢三老石室」でこの碑を仰ぎ見ることができるのは、彼らの功績に他なりません。
補足:100年前の「11,270大洋」はどれほど巨額だったのか?
西泠印社の志士たちが集めた「11,270大洋」。当時の「1大洋(銀貨)」の価値を知ると、この救出劇の凄まじさがより鮮明になります。
• 1大洋の価値: 現代の日本円で約5,000円〜1万円弱の感覚です。
• 生活水準: 1大洋あれば庶民が1週間近く生活できる金額でした(麺なら20〜30杯分、労働者の給料なら2〜5日分に相当)。
寄付者たちの「本気度」を現代に換算すると:
• 総額(11,270大洋): およそ6,000万〜1億円以上。これをわずか65名の有志で集めました,。
• トップドナー(2,000大洋): 軍閥トップらが投じた額は、現代なら1,000万〜2,000万円級の「超高額投げ銭」です。
• 芸術家たち(100大洋): 呉昌碩らの寄付した額は、現代なら50万〜100万円ほど。実業家に比べ収入が少なかった芸術家たちが、身を削って拠出した「誠意の証」でした。
この莫大な資金と情熱があったからこそ、私たちは今、この石碑を西湖のほとりで目にすることができるのです。
(邵三房)
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