| << 光和書房、古本博覧会・小川広場会場に出店します 2026-01-26 | 中文書100円均一コーナーに学術書多数追加|演劇・方志・民族研究など >> 2026-01-29 |

台北故宮博物院『祭姪文稿』第一跋

台北故宮博物院『祭姪文稿』第二跋
唐代の偉大な書家、顔真卿が早逝した姪の顔季明を追悼するために書き上げた草稿『祭姪文稿』。現在は台北故宮博物院に保管されているこの傑作は、顔氏一族の忠烈な歴史を背景に持つ、書道史上欠かすことのできない至宝です。
この作品の魅力は、顔真卿自筆の墨跡だけでなく、その後、千年の時を経て付け加えられた「題跋」にも隠されています。今回のブログでは、作品に名を連ねる九人の先賢と、中でも特に不可解な記述を残した元代の能書家・鮮于枢(せんう すう)の謎に迫ります。
1. 歴史を繋いだ九人の先賢たち
『祭姪文稿』の巻末には、作品を鑑賞し、その価値を称えた九人の先賢による題跋や観款が残されています。彼らの存在が、この名品の流転と評価の歴史を証明しています。
• 張晏(ちょう あん)
• 鮮于枢(せんう すう)
• 周密(しゅう みつ)
• 屠約(と やく)
• 南昌僧徳一(なんしょうそう とくいち)
• 王頊齢(おう きょくれい)
• 王図炳(おう とへい)
• 徐乾学(じょ けんがく)
• 乾隆帝(けんりゅうてい)
これらの面々の中でも、特に注目すべきは二度にわたって題跋を記した鮮于枢です。しかし、彼の記述には、専門家をも悩ませる「3つの大きな矛盾」が存在します。
2. 鮮于枢が残した「3つのミステリー」
鮮于枢は、友人の曹彦礼(曹大本)からこの作品を譲り受け、「わが家で第一の法書」とまで絶賛しました。それほど愛した作品であるにもかかわらず、彼の題跋には不可解な点が見られます。

① 時系列の逆転:1288年が1286年よりも前にある謎
巻物を右から左へと読み進めると、最初に現れる題跋(第一跋)は1288年(戊子)に書かれたものです。その後に続く第二跋は、それより前の1286年(丙戌)に書かれています。なぜ、後に書いたはずの文章が右側(先)に来ているのでしょうか。これには、鮮于枢が気まぐれで順番を違えたという説もありますが、有力なのは「再装丁時のミス」です。明代中期の記録では、本作は「ボロボロで触るのもためらわれる」ほどの状態だったと記されており、後世の職人が修復の際に順序を間違えて繋ぎ合わせた可能性が指摘されています。

題跋の継ぎ目に押された「騎縫章(きほうしょう)」の謎です。実は、ここにある三組の騎縫章には鮮于枢本人やそれ以前の古い印章は一つもなく、すべて清代の収集家(徐乾学、王永寧、呉希元、王鴻緒、陳定など)のものであることが分かっています。



② 記憶の混乱:収集したのは1282年か、1283年か?
鮮于枢は二つの題跋で、入手した年をそれぞれ異なる年で記しています。


• 第一跋: 1283年(至元癸未)に取得
• 第二跋: 1282年(至元壬午春)に取得 「取引の段階が異なっていた」という解釈もありますが、第二跋では「春」という具体的な季節まで記されており、記憶が鮮明であったことが伺えます。なぜ数年後の題跋で、これほど思い入れのある作品の入手年を書き分けたのかは謎のままです。
③ 親友の出身地を間違えた?「東鄆」の怪
最も不思議なのは、元の持ち主である友人・曹彦礼の出身地です。鮮于枢は彼を「東鄆(とううん)」の人と記していますが、実際には「鄆城(うんじょう)」の人でした。 「東鄆」という地名は春秋時代には存在しましたが、元代にはすでに消滅しており、実在しない地名でした。

《鄆城県志》13巻 明崇禎七年刻本

《読素問鈔》十三巻 明嘉靖刻本
曹彦礼は国子監の教授であり、医学の大家としても知られた著名人でした。二人は他の名品を共に鑑賞するほどの深い親交があったにもかかわらず、鮮于枢がなぜ親友の籍貫(出身地)を間違え続けたのか、その理由は未だ解明されていません。

《保母帖》鮮于枢題跋
光和書房では、書籍だけでなく、中国書画・拓本・碑帖・法帖、掛軸・文房四宝(筆・墨・硯・紙)の買取にも力を入れております。
| << 光和書房、古本博覧会・小川広場会場に出店します 2026-01-26 | 中文書100円均一コーナーに学術書多数追加|演劇・方志・民族研究など >> 2026-01-29 |




メールアドレスを入力
してお申込みください。




メールアドレスを入力
してお申込みください。