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米芾(べいふつ)の最高傑作として名高い『蜀素帖(しょくそじょう)』。私は最近、この名品を巡るある「不可解な謎」について調べていたのですが、知れば知るほど、まるでミステリーのような面白さに引き込まれてしまいました。
今日は、私が資料を読み解く中で出会った、「本物よりも美しい(?)刻本」の正体についてお話しします。
まず、台北故宮博物院に所蔵されている米芾の『蜀素帖』墨跡本と、明代の文人・董其昌(とうきしょう)が編纂した『戯鴻堂帖(ぎこうどうじょう)』に収録された刻帖を比較してみましょう。


興味深いことに、場所によっては墨跡本よりも刻帖(複製)の方が、筆の運び(運筆)の脈絡がはっきりと見えることがあります。『蜀素帖』はその名の通り「蜀素(四川省産の特殊な絹)」に書かれており、紙に比べて書きにくい材質でした。そのため、墨跡本には墨が溜まって細部が見えにくい箇所がありますが、複製本ではそれらが「最適化」され、より完璧に近い状態で再現されているように見えるのです。






なぜ複製の方が「綺麗」に見えるのでしょうか? 一つの可能性として、腕に自信のある刻工(彫り師)が、米芾が書き損じたと思われる部分や、細すぎる線を自らの判断で「修正」したのではないかという疑問が浮かびます。例えば、米芾が書いた短い横線を、刻工が「点」だと思い込んで勝手に分けて刻んだり、気に入らない筆致を修正したりした可能性です。


しかし、当時の刻工の立場からすれば、名家の作品を勝手に書き換えることは、解雇(クビ)に値するほどの暴挙です。刻工の視点を借りれば、彼らの仕事は「コピー」と同じであり、主人の許可なく細部を変更することは考えにくいとされています。実際、後に『蜀素帖』の墨跡を入手した陳瓛(ちんかん)の息子、陳甫伸(ちんほしん)が制作した『渤海蔵真帖(ぼっかいぞうしんじょう)』は、驚くほど墨跡本に忠実です。





米芾という天才の「生々しい筆致」をそのまま伝える墨跡本か、それとも後世の誰かが(あるいは董其昌の美意識が)整理した「完璧な姿」の刻本か。
私がこのエピソードから感じたのは、書という芸術が、単に一人の人間で完結するものではなく、後の時代の収集家や職人たちの手を通じ、形を変えながら愛され続けてきたという事実です。
「模写本が原本を超えることはない」という職人の言葉も重みがありますが、董其昌が「これは素晴らしい」と信じて刻ませたあの線の美しさもまた、一つの真実なのかもしれません。皆さんは、どちらの『蜀素帖』に、より惹かれるでしょうか?
前回:董其昌と『蜀素帖』の30年にわたる愛憎劇 ――書画界の「メロドラマ」を追う
(不同艺)
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