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映画『一个都不能少(あの子を探して)』(1999年)
日本でも少子化による学校の統廃合が議論されていますが、隣国・中国では「より良い教育」を求める熱狂的な競争が、農村のコミュニティそのものを根底から変えてしまいました。
かつて中国の村々にあった「村小(村の小学校)」は、1997年から2012年の間に約51万校から15万校へと、実に約70%も減少しました。この「撤点併校(学校の統廃合)」が進んだ結果、何が起きたのか。社会学者・単麗卿氏の10年にわたる調査から、その衝撃的な現実が見えてきます。
1. 「良い教育」という幻想と、自己実現的な予言
なぜ人々は村の学校を捨て、町の大きな学校を目指すのか。そこには「教育格差」という強力なナラティブがあります。
校長や保護者の間では、「村の学校は英語の授業がない」「秩序が乱れている」といったネガティブなイメージが共有されています。しかし、実際に学校の中身を詳しく知らなくても、「町へ行くことこそが、責任ある親の証だ」という社会的なプレッシャーが、保護者の不安を煽ります。
その結果、子どもが減り、さらに教育資源が引き抜かれるという「自己実現的な予言」によって、村の学校は必然的に消滅へと追い込まれていくのです。
2. 「全寮制」が奪った家庭のぬくもり
学校が遠くなったことで導入された「全寮制」は、一見すると効率的です。しかし、そこには大きな代償がありました。
3. 「根無し草」となる若き教師たち
かつての村の学校には、地元出身の「老教師」がいました。彼らは地域社会に深く根ざし、親戚のような距離感で子どもたちを見守っていました。
しかし現在は、学歴の高い若手教師に取って代わられています。彼らの多くは町や市に家を持ち、村を「単なる職場」としか見ていません。彼らにとって村の学校は、より良い都市の学校へ行くための「キャリアの踏み台」に過ぎず、優秀な教師ほどすぐに去ってしまうという構造的な問題が生じています。
4. 終わりのない「末端からの逃走」
単麗卿氏が指摘する最も深刻な問題は、全員が「末端(ボトム)」から逃げようと、常に上を見続けていることです。
村の子は町へ、町の教育は県城へ、県城の子は都市へ。この「単一の評価軸」の中にいる限り、どこまで行っても「ここではないどこか」を追い求める焦燥感から逃れられません。村の学校が、多様な価値観を支える「受け皿」としての機能を失った今、教育は単なる「階層上昇の道具」と化してしまったのです。

ドキュメンタリー『村小的孩子(村のこども)』(2014)
私たちが問い直すべきこと
「より良い教育」とは、設備の良さや進学実績だけで測れるものなのでしょうか。村の学校が、多様な価値観を支える「受け皿」としての機能を失い、単なる階層移動の道具と化した今、私たちは教育という名のもとに、あまりにも多くの「目に見えない大切なもの」を犠牲にしているのかもしれません。
効率と進歩の光に目が眩み、その足元で消えゆく村の灯火や、子どもたちの等身大の生活を見失っていないか。単麗卿氏が綴った「多重の叙事」は、現代社会を生きる私たち全員への、静かな、しかし重い警告です。
単麗卿:社会学博士。現在は杭州師範大学公共管理学院の副教授および修士課程指導教官を務める。中国社会科学院大学院で博士号を取得後、北京大学社会学系にて博士後研究員に従事。主な研究分野は教育政策、県域発展、農村統治など。

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